少子化の主因としての〈望まない無子〉
不幸の象徴として「望まない子」を描く物語は数多い。人類史上、子どもは概して必要以上に産まれるものであり、調整のため間引きが頻繁に行われていた。不妊治療をしてさえ子宝に恵まれない夫婦が多い現在とは真逆である。環境問題への意識の高いSDGs活動家などは膨張する人口を問題とし、その抑制には女子の自立や教育と社会進出の浸透、あるいは抑制的な家族計画などを推奨している1。
しかしながら目下、豊かな社会にとって喫緊の懸念は人口爆発ではなく、少子化になっている。2020年、全世界のうち70%の国で、出生率がすでに人口置換水準を切っている。自由で豊かになるほど子どもが産まれない。老いるばかりで朽ち果てる社会。働けず、身よりのない高齢者たちが、流れるときを呆然と過ごしている。
少子化の改善策については喧々囂々の議論が続くが、抜本的な改善策を提案する者は数少ない。自由な社会における生殖のボトルネックは、今や「女性の個人的な選択」になっている。人権の尊重と個人主義、男女平等。下手な発言により女性の自由を奪い、尊厳を傷つけることを皆恐れている。子どもを産まない女性は、社会の抑圧に抗議しているという主張まで存在する。そんな状況では、女性の個人的な選択について、腫れ物を触るような議論しかできなくても仕方がないであろう。
とはいえ、性的二形のヒトである。女性は子どもを産み、育てる機能を授かったほうの性である。悠久の時を経て存在し続けてきた以上、その機能を活かすことを積極的に望まないよう女性が進化したということは、恐らくありえない。
現代人は子どものいない生き方を選んでいるわけではない。多くの人は、子どもは欲しいのに、子作りの機会をただただドブに捨てている―。
望まれない子ではなく、〈望まれない無子2〉を少子化の主因として提起するのが、ドキュメンタリー映画『Birthgap - Childless World』である3。
少子化による一番の弊害は、人口が減少することそのものではない。社会保障に頼る高齢者の人口と、それを支える生産年齢人口の比が前者に大きく傾くことにより、人口ピラミッドがいびつになる。これにより、労働生産性が現役世代ではなく、リタイア後の高齢者の支援と延命に浪費されてしまうことが問題なのである。少子高齢化による世代間格差が長らく議論されてきた日本において、これは特に新しい問題ではない。
本作は、この傾向が今では全世界的にみられることを指摘する。リタイアした老年人口のうち、新生児数では補えない割合を「Birthgap(バースギャップ)」と定義する。例えば、出生率が極端に低い韓国では4、現在のバースギャップは69%となっている。およそ3人の若者が10人の老人を支えることになる、といった計算である。
何かと豊かな社会のモデルケースとされやすい北欧諸国でも少子化は深刻である。ノルウェーでは当時の首相エルナ・ソルベルグが少子化を危機とみなし、国民に訴える初の国家指導者となった5。デンマークでは、子作りのためのセックスを推進する「Do it for Denmark(デンマークのためにヤッて)」というCMキャンペーンが打たれたという。南欧イタリアでは、政治家ビアトリス・ロレンジンが、国民に子どもを作るよう直接訴えたという話である。一方、国民は概して、政治家による私生活へのこのような干渉を嫌うようである。
このドキュメンタリーが引用するうちもっとも注目すべきデータのひとつは、子どもを持たない女性について、その理由に迫るものだろう。オランダの調査によると、積極的に子どもを持たない選択をした女性はわずか10%、健康的理由の不妊が10%。残る80%は、なんとただの成り行きで子なしになっているらしい6。具体的な数字にはばらつきがあるものの、生涯とおしての無子を積極的に望むと答える男女は、概してかなり少数である。これを踏まえると、生涯無子女性の大多数は子どもが欲しいにもかかわらず、配偶者の獲得あるいは妊娠の失敗により、望まずして子なしになっていることが伺える。
昨年末、日本女性の生涯無子率について衝撃的な報道があった。日本の50歳女性の27%が生涯子なしとなっている現状を伝えたものである7。上記の調査を踏まえると、このうち8割もの女性が単なる結婚市場の需給ミスマッチ、あるいは妊娠計画の失敗により出産の機会を逃していることになる。
少子化が、開放された女性の望みによるものではなく、開放されたがゆえの新しい困難の結果だとすれば、減り続ける生命への印象もかなり違ったものになるだろう。現代は、〈望まぬ無子〉の時代なのである。
少子化改善には、この無子率を下げることが欠かせない。というのも、子あり家庭の家族構成には長いことあまり変化が見られないからである。女性はひとりめさえ産めば、平均してだいたいふたりは子どもを産む。4人、5人と産む女性もいるが、比較的稀であり、各国においてこの分布に時代を超えた変化はあまりみられないという8。これを踏まえると、すでに子持ちの女性を支援し、もうひとり、ふたりと産んでもらうといった少子化改善策は、その実現性が疑わしいだろう。あくまで著しい変化は、女性の無子率の増加にある。
都市型の生き方を模索する若者へリーチしたいリベラルメディアは、キャリアと自己実現中心の生活をライフスタイルとして提案し、家庭や子育てを古びた社会規範に屈するダサい生き方として演出しがちである。結婚や出産をごく個人の私事として、干渉するべきでない聖域とみなす論調も普通である。実家の親が、「結婚はまだ?」とそそのかしてくる。それに毅然と、「時代遅れの家父長制のブタ」と切り返すあなたが、素敵でないはずがない。若くして主婦になった母。パラレルユニバースでは、社会に出て輝く自分を密かに夢想していた。娘として、わたしはそのことを知っている。わたしはひとりで、横文字にあふれる自由な生活がしたい。少なくとも30歳までは―。
本ドキュメンタリーが提示する、深刻な数字がもうひとつある。
30歳の時点で子なしの女性が母親になれる確率は5割を切る、というものである。
30歳での結婚に晩婚というイメージは消えつつある。実際、結婚は30歳までにできればよい、それまではキャリアや若さを謳歌しようと計画する女性は多いだろう。しかし、この数字が正しければ、女性が30歳のとき成立した家庭の過半数が、子どもに恵まれないということになる。日本における平均初婚年齢がほぼ30歳9に近づいていることを考えると、これは衝撃的な数字である。
人生において女性が妊孕力をもてる時間は、本人が考えるよりもよっぽど短い。年齢は常にセンシティブな話題だが、女性のためにも、このことはもっと周知されるべきだろう。ヒトの女性の妊孕力が15歳から45歳まであるとすると、30歳で初婚する社会は、妊孕力の半分を発揮しない社会である。実際は、この分布における鋭いピークは20代前半におこる。これを踏まえ積分すると、半分どころではない高い割合の出産能力が、現代ではまさにドブに捨てられていることがわかる。子どもができず、減るばかりなのはあたりまえなのである。
有性生殖をするヒトとして、妊孕力は価値や魅力と直結している。自由な社会では、女性はこれを生殖ではなく、より多くのさまざまな価値やモノと交換したり、還元したりすることができる。この状況を、生殖という生物的くびきから開放された新時代の生き方と捉えることもできるだろう。しかし、そのような生き方をできるのも、妊孕力に連動する魅力があってこそ。子どもを作ることに使わなければ、それ以上に長い残りの人生を、無子女性にとっての新時代の生き方として模索することになる。
女性は「花の命は短い」という経験的な助言を思い出し、生物的現実と向き合い、選ぶ側の性として使える機会は、自分が考えるほど豊富でないことを踏まえた人生計画をするべきだろう。
親族や周囲からの「結婚しろ」圧力のタブー化は、家庭を持ち子どもを育みたいと潜在的に願う男女を生殖から遠ざける。適齢期に強まる結婚圧力やナッジ、それを実際に成就へと向かわせるお見合いといった社会的な機序の役割も、このさい見直してみるべきではないだろうか。家庭や子どもを望まない選択は、自由社会というデフォルトで尊重されている。問題は、家庭や子どもを持ちたい男女を適切に結ぶ仕組みが、至って脆弱であることを見過ごしていることである。よって、「望まない無子率」が増加し続けるのである。
女性にばかり言及したが、批難をしたり、責任を押し付ける意図からではない10。自由社会において、生殖の最終決定権は女性にある。それゆえのボトルネックである。男性の無子率は、女性の無子率を遥かに上回る。一夫一妻制の社会において女性のためらいが、それ以上の無子男性を作り出すことはいうまでもない。救いは、男性は女性ほど長生きしないため、無子の老後の悩みに関しては女性ほど深刻ではないことだろう。この先、身寄りのない高齢者に互助の仕組みや生きがいを与える工夫なども、期待されるに違いない。
ドキュメンタリーでは、1970年代の高島平、子どもたちで溢れかえる団地に育ったひとりの女性が、その故郷を再訪するシーンがある。シャッター街と化した団地に、子どもは見あたらない。残るのは、身寄りのない高齢女性ばかり。希望なく、飛び降りる人もいる。報道はされない。望んでいたらしいが、この女性に子どもはできなかった。
https://www.un.org/development/desa/dpad/publication/un-desa-policy-brief-no-130-why-population-growth-matters-for-sustainable-development/
Unplanned childlessness
これがデビュー作となる監督スティーブン・J・ショウ(Stephen J. Shaw)は、少子化が引き起こすといわれる退廃に衝撃を受けた、本職はデータ分析者である。少子化の実態を探るためわざわざ日本に移住し、現在も東京在住らしい。取材対象に日本社会と日本人が多いのは、そのためである。世界的な傾向とはいえ、もし改善への希望があるとすれば、少子化に長らく対峙し、問題意識も高い日本でできることがあるのではないかという思いが、彼をこのドキュメンタリー映画の制作へと向かわせたらしい。
2022年では0.78という驚異的な低さである。個人的には同じ東アジア文明圏にある国家が消えることには寂しい思いを抱くが、少子化で本当に滅亡することになるなら、社会実験としてそれはそれで面白そうである。
学生世代の子作りを現実的にするべきといったことにまで言及したようである。
Keizer, R. (2010). Remaining childless : Causes and consequences from a life course perspective.
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD0818Q0Y2A201C2000000/
さすがに韓国ほど出生率が低くなると、このような分布にも影響があり、一人っ子家庭も増えているらしい。一人っ子政策をとった中国もしかりである。
https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-09.html
本ドキュメンタリーにおいては男性への取材もそれなりにされているものの、例えば「女性が選びたくない男性」や「生殖への責任を持たない男性」の増加といった視点は欠けている。この点において女性目線の作品が現れれば面白いだろう。



